小林まことの『ちちょんまんち』というマンガはかなり痛快で、処女とか童貞のまま一生を終えると生前どれほどの善行をした人間でも極楽への昇天はなく、修行の足りない人間として地獄に落とされるというギャグマンガであった。小林まことの世界はデビュー作の『1,2の三四郎』の頃から登場人別は根がスケベであることを前提としていた。
スケベでいい加減なヤツが柔道やラグビー、その後のプロレスの世界で熱血するという世界で、熱血漢=硬派というこれまでの少年マンガの主人公キャラクターの構図を熱血漢=硬派=だけどスケベという図式に書き換えたのである。これをスポ根プラスしたギャグ風味として成立させ、逆に読者には一種のリアリティを与えたのだ。これは小林まことなりの哲学で、どんな人間であれスケベの名の元には1つになれるというモノであった。
今はマンガ誌も規制の下でチマチマした表現を強いられているが、少女マンガからレディコミが派生し、むしろその少女マンガでさえ、かつての大量の花束を背景に瞳の中に星を輝かせる手法はほとんど見られない。つい最近、少女フレンドという雑誌を手に取ったのだが、もはや少女でもフレンドでもない内容で驚いたのだが、フレンドという老舗少女マンガ誌でさえ性表現をすることで読者層を強化しようという考えをしているようだ。
ただし男性誌と女性誌の性表現のポイントはかなり違う。男性誌の場合、全くストーリーに無関係な女性のパンチラであるとか、
いきなり水着が脱げてしまうシーンで登場人物が大喜びをするような表現があるが、女性誌の場合はあくまでも恋愛が先行し、その恋愛の途中結果としてのセックスのシーンが登場する。間違っても道端で唐突にチ○ポを露出した男性に「うほっ」とかいって女性主人公が喜ぶシーンは存在しない。(まぁギャグマンガとして存在しているかもしれないが見たことはない)
風俗嬢やAVギャルなどの取材をしていても多くの女性は恋愛を前提としたエッチへと気持ちが動いてゆくものだ。ごくまれに性欲が先行して後付としての恋愛を求める女性もいるが、こちらの方が少数派である。男性の場合も恋愛を先行させた性欲がありえないとはいえないが、むしろ同時進行か性欲を先行させたつもりが恋愛も後付になってしまうようなところもある。
なにげなく入った風俗店で、たまたま指名した女のコの常連客になってしまうお客さんなどは、まずそういうパターンだろう。どんなナンバー1風俗嬢であれ、そのコに恋した状態でお客さんとして初めて来る男性がいるワケもない。きっかけは性欲にあるのだ。
ホストクラブまでは成立しても、肉体を使った女性向けの風俗店が長続きしない理由には多くの女性のきっかけが性欲であるということがないからだろう。「あったら行ってみたい」と冗談交じりに話す女性を知らないワケではないが、実際にあったとしてもその半数も行かないのではないか?と筆者は推理する。性風俗が風俗嬢(女性)とお客さん(男性)で成立することが、ほぼ万国共通で長きに渡って継続されていることが証明しているのだ。ちなみに吉原というのは徳川家康が作ったという説はかなり信憑性がある。
ちなみにプレイを重ねているうちにお客さんを好きになってしまったという風俗嬢の告白は今までも何名かからは訊いたことがある。これはイレギュラーなハプニングの一例と考えた方がいい。なんぼ気が多い女のコでも1日に5名ぐらいの男性とプレイをして、そのプレイを引き金とした恋愛感情が起こるのか?といえばはなはだ疑問なのだ。
いささか遠回しな連載になってしまったが、このテーマは深いので、この説を前提として次回も引っ張ってゆくぞ!